一地清愁さんの詩詞の秀句にはいつも驚かされるのだが、昨日の作を読み下してみたい。
浣溪沙・朱顔不向鏡心留
幻世浮名不可求,塵勞疾苦總無休。紅香玉葉盡成愁。
清夢終隨雲影去,朱顔不向鏡心留。咦兮轉瞬是白頭。
(中華新韵七尤平声の押韻)
幻世の浮名 求むべきならず,
塵勞 疾苦 總(すべ)て休むなし。
紅香 玉葉 盡(ことごと)く愁ひをなす。
清夢 終(つい)に雲影に随ひて去り,
朱顔 鏡心に向かうも留まらず。
咦兮(ああ)轉瞬(まばたき)すれば是れ白頭。
この詞、前段は光陰如箭のはかなさ、空しさを詠んでとても美しいが、
後段がとりわけ秀逸。
清夢終隨雲影去--人生の清き夢は雲の飛び去るごとくに消え
朱顔不向鏡心留--朱き美しい顔 鏡に面と向かうも鏡に像を残すことはできない。
咦兮轉瞬是白頭--ああ、まばたきをしたら、頭が真っ白だ。
清夢終隨雲影去,朱顔不向鏡心留は對句。この二句の読み下しは、
朱顔不(向鏡心)留 と読むのか、朱顔不向/鏡心留(朱顔 鏡心の留むるに向かえず)と読むのか、
清夢終(隨雲影)去 と読むのか、清夢終隨/雲影去(清夢 雲影の去るについに隨う)と読むのか、
迷う。当面はその前者をとったわけだが、おそらくは、そのどちらも正解。つまりは、
鏡にいくら向かってみても若さを保つことはできない
若さを保てる鏡などはない、鏡に向かってみても仕方がない
という二つのニュアンスを表現していることになる。
句に秘められた多義性、つまりは婉約、ということになるのだが、婉約は美に通じる詩法だ。
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