忍者ブログ
| Home | About | 诗词理论 | 诗词集 | 诗词趣话 | 词评 | 其他 | 戏曲 | Other |
[88]  [86]  [83]  [82]  [81]  [79]  [78]  [77]  [76]  [75]  [74
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

一地清愁さんの詩詞の秀句にはいつも驚かされるのだが、昨日の作を読み下してみたい。








      浣溪沙・朱顔不向鏡心留

  幻世浮名不可求,塵勞疾苦總無休。紅香玉葉盡成愁。
  清夢終隨雲影去,朱顔不向鏡心留。咦兮轉瞬是白頭。
             (中華新韵七尤平声の押韻)

  幻世の浮名 求むべきならず,
  塵勞 疾苦 總(すべ)て休むなし。
  紅香 玉葉 盡(ことごと)く愁ひをなす。

  清夢 終(つい)に雲影に随ひて去り,
  朱顔 鏡心に向かうも留まらず。
  咦兮(ああ)轉瞬(まばたき)すれば是れ白頭。

 この詞、前段は光陰如箭のはかなさ、空しさを詠んでとても美しいが、
 後段がとりわけ秀逸。

  清夢終隨雲影去--人生の清き夢は雲の飛び去るごとくに消え
  朱顔不向鏡心留--朱き美しい顔 鏡に面と向かうも鏡に像を残すことはできない。
  咦兮轉瞬是白頭--ああ、まばたきをしたら、頭が真っ白だ。

 清夢終隨雲影去,朱顔不向鏡心留は對句。この二句の読み下しは、

  朱顔不(向鏡心)留 と読むのか、朱顔不向/鏡心留(朱顔 鏡心の留むるに向かえず)と読むのか、
  清夢終(隨雲影)去 と読むのか、清夢終隨/雲影去(清夢 雲影の去るについに隨う)と読むのか、

 迷う。当面はその前者をとったわけだが、おそらくは、そのどちらも正解。つまりは、
  鏡にいくら向かってみても若さを保つことはできない
  若さを保てる鏡などはない、鏡に向かってみても仕方がない
 という二つのニュアンスを表現していることになる。
 句に秘められた多義性、つまりは婉約、ということになるのだが、婉約は美に通じる詩法だ。
PR
この記事にコメントする
name
title
color
mail
URL
comment
password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
Powered by Ninja Blog Template by CHELLCY / 忍者ブログ / [PR]